
大阪で、ひき逃げ事件が続発している。
「飲酒」「無免許」「免許停止中」など、犯人が「逃げなければ」と思った理由は極めて反社会的行為ばかりである。
背景には、刑法の改正で新設された「危険運転致死傷罪」があると言われている。要するに、刑罰が重くなり、「酒酔い」がバレたらその時点で、以前のような「業務上過失」ではなく、「危険運転致死傷罪」が適用され、最長で30年の懲役刑になるかも知れないという心理が働き、「一旦逃げて、酒が抜けてから自首した方がトクではないか」という考えが湧くというのだ。
しかし、最近起きた一連の事故、事件の場合、初期対応が良ければ被害者は死なずに済んだように思えるケースがほとんどだ。厳罰化が招いた、パラドクスなのだろうか?
「酒」を飲んだら車に乗らない、という当たり前が守れない人々がいて、それによって法を犯した自分が痛い目を見るのではなく、何の罪も無い市民が巻き添えで大切な人生を棒に振る。
「ルール」で秩序を維持するというのには限界があるんだ、ということを物語っているのではないだろうか?
「モラル」「マナー」といった「文章化」しにくい概念こそ「ルール」「法律」よりも上位にある概念なんだということを、社会や、家庭の教育の中で厳しく叩き込むことが必要だと感じる。
ひき逃げ事件だけではなく、今の日本に必要なことだと思う。私達の身の回りに必要なことだと思う。
先日、同窓会に参加して色んな話しをした。歳が歳だから、今後の生活設計のような話もでる。当然、資産運用の話も出た。「株で大損した」なんて話しもチラホラ。
その点、私はラッキーだと思った。損得勘定抜きでアドバイスをくださる、「プロ中のプロ」Tさんが患者さんにいらっしゃる。だから、損をせずにすんだ。今年の早い時期に株はすべて手放した。「これから、長い調整局面に入りますよ。もちろん、局所で儲ける人がいるかも知れないが、ほとんどの人が資産の目減りで苦労する時期が来ますよ。素人は早く株から手を引いた方がよろしいで。」とアドバイスを下さった。助かった。
色んな話しをさせて頂くのだが、Tさんとは、世界観、歴史観が合う。だから、話しをしていて分かりやすい。
「大きな価値観が変化する時代」「今までの正義が、正義でなくなる時代」だとTさんも仰る。
この独り言を読んでいる方で、株式投資でお金を儲けたいと思っておられる方、つまり「投機的」な株の売買をされている方は、注意された方が良い。
アメリカ最大の銀行、シティグループも実は危ない。つまりは、アメリカという国がアイスランドみたいな状況になっても何もおかしく無い状況に陥っている。
国全体で、「詐欺」をやってたんだから仕方がない。とにかく、金融不安はまだ入り口に差し掛かっただけである。間違いなく、アメリカの株価は下がる。ただし、そのときの日本の株価については判らない。外資が株価を吊り上げていたような株は、今よりも下がる可能性が大きい。新興株式市場の株式はとにかく今までよりもリスキーだろう。手を出さない方が良い。
しかし、たとえばトヨタの株は、下がった時に買うべきだと思う。PERが1.0を切った時には、間違いなく買いだろうと思う。(ちなみに、今日の水準だと1.0を切ってます。)
長期保有して、配当金を受け取りたいと思う方には、今ならトヨタの株はお買い得ですよ。
田母神氏と、彼の考え方はキライだが「日本は良い国だ」という彼の意見にはちょっと同情する。これからやってくる世界恐慌に対して、今回は、70年前と違う対応をすべきだと思う。「良い国」なんだから。

今日は、このオッサンが国会に参考人として呼ばれた。田母神俊雄前航空幕僚長、私には理解できない歴史観をお持ちの方だが、彼の歴史観については問題視していない。「そんな見方も出来るやろな〜」と思う。もちろん、その人が航空幕僚長だったことには、若干の疑問を感じるが。
それよりも、私が問題だと感じるのは、彼の論文が懸賞論文に応募され最優秀賞を取ったことが報道された日のことだ。私は、最初ヤフーニュースで知った。最近のヤフーニュースには、コメントが書き込める。そして、そのコメントに対して「そう思う」というボタンが設定されていて共感できるコメントに投票できるというシステムだ。得票の多いコメントから順に表示される。
驚いたのは、500近いコメントのほとんどが、「田母神俊雄前航空幕僚長、よくやった!貴方の歴史観は正しい。日本人に自虐的な歴史観を押し付けているマスコミこそ糾弾されるべきである。時事通信は、国賊である!」というようなコメント。恐ろしいことだが間違いなく95%以上は、「侵略などしていない!」という意見だった。しかも、そこに書かれている言葉の醜さと言えば、「2ちゃんねる」以下とも思えるような口調だった。
ちなみに、筑紫哲也氏が亡くなられたことに対するコメントも「これで、日本が良くなる。」「売国奴が死んだ!」というような死者を冒涜、愚弄するような内容。また、これも圧倒的多数がそんなコメントだった。匿名の人間がネット上で、恐ろしいファシズムを形作っていることに憂慮した。この国は、間違いなく病んでいる。
わが国の近代史は、明治維新から始まった。まだ、140年あまりである。第二次世界大戦は、ちょうどその真ん中に位置している。先の大戦までの70年を前半の35年と、後半の35年に分けて「前半の良識ある行動に付け上がり、貯金を使い果たした後半」と解釈する歴史観がある。私もその歴史観が正解だと信じている。敬愛する白洲次郎も同じようなこと言っている。日露戦争までの日本には、江戸時代の「武士道」があった。「公明正大なる大義」に基づいて、「弱いものいじめ」をするロシアに敢然と立ち向かった。戦争に「良い戦争」も「悪い戦争」も無いかもしれない、しかし、大義はあった。しかし、その後の日本はマスプロ教育で「考える」ことを忘れたアホが、リーダーとなった。「日本人ほど考えない国民はない!」と白洲は述べている。だから、「全体主義、ファシズム」に走った。クリティカルシンキングを捨てたからだ。
戦争が終わって焼け野原から、必死の想いで復興を遂げた前半の35年、そして折り返しとなる80年代初頭、私達はバブル経済という愚行に走った。先人の貯金を使った。今、また100年に一度という不況が来る勢いである。いや、間違いなく来るであろう。1929年、世界大恐慌はその後の世界秩序に多大な影響を及ぼした。結果としてドイツはナチズムに走り、日本は欧米との覇権争いの挙句、軍国主義への道を突き進んだ。
今回の大不況の先が心配である。ロシアとアメリカは確実に冷戦時代に戻っている。グルジアでの戦闘が雄弁に語っている。エネルギー覇権を争う冷戦だ。唯一の救いは、ネオコンと呼ばれるブッシュ一味が、大統領選挙に負けたことだが、オバマ新大統領が暗殺でもされたら、しかもそれがロシアとの徹底対峙を求める白人主導、兵器業界主導の世論の下で起こったら・・・。
歴史が繰り返さないことを祈る。クリティカルシンキングできる日本人を育てなければならない。

11月8日(土)、大阪歯科大学36回卒業生の卒業20周年記念同窓会が開かれた。
懐かしい顔に会えて、本当に楽しいひとときを過ごすことができた。次の日の日曜日にはゴルフコンペも開かれ、本当に楽しい週末だった。
神戸大学大学院の授業で、金井先生はこんなことを仰った。「歳を取るほど、昔の友人が大切になる」
ピンクレディーは、国民的アイドルだった。だから、現在の30代半ばの人から40代、50代、60代あたりは、ほとんどの人がピンクレディの歌を知っている。もちろん、程度の違いはあるが。
だから、「ピンクレディー、知ってますよ!」ということでは、話は会うものだが、ピンクレディの写真をこうやって見たときに、胸に去来する「想い出」に大きな違いが出るというのだ。
私たちは、中学、高校生だった頃の思い出が去来する。高校3年の春、正確には卒業して浪人が決まっていた春に彼女達は、後楽園球場のラストコンサートでその輝かしい栄光に幕を閉じた。
一回り年下の人は、「はっきりと覚えている」とはいうが、残念ながら小学校1年生だった。甘酸っぱい恋の想い出と一緒に、ピンクレディのイメージは出てこない。
「同じ年ごろで、同じ体験をした」「同世代として、同じ光景を見た共感力」ということの重みがあるというのだ。金井先生によれば。
大学に入学したのは26年前、その頃1年生、2年生は枚方市牧野にある「予科」と呼ばれた学舎で青春を過ごした。あの田園風景を、同じ年ごろに見て、過ごした仲間なのだ。だから、懐かしい。今は無くなったボーリング場の話しが出きる。しかも、当然のことなのだが、「同世代として同じ光景を見た」仲間なのだ。
そう考えると、夫婦、家族にも同じようなことが言えるのかも知れないと感じた。
子どもとは、もちろん世代は違う。しかし、子どもが一番多感な時期に家族旅行をし、何か感動するような風景、光景に出くわせたなら、それはやはり「オヤジとオフクロと見た光景」として永く脳裏に焼きつくのだろうと感じた。
子ども達が巣立った後で、楽しい余生を送っている人々は皆、一様に夫婦仲が良いように思う。
同じ時代を生きたからであろう。同じ光景を同じ世代として感じたからだろう。子どもが生まれて、右も左も分からないままに、子どもを一緒にお風呂に入れたからだろう。
今回の同窓会は、色んな意味で強烈なインパクトがあった。相当な白髪頭になっているヤツ、髪の毛が薄くなったヤツ、恐ろしく太ったヤツ、体を悪くしてリハビリをしているヤツ、ご主人を病気で失くした彼女・・・。みんな、大切な戦友だ。同じ時間を同じ場所で過ごした戦友だ。同じ試験に、挑んだ戦友だ。
大切にしたい気持ちが沸々と湧いた。何か、役に立ちたいと、心の底からそう思った。俺の経営学の知識が役に立つなら使って欲しい。とにかく、これからの人生を豊かに生きるために、「昔の友人が大切になる」理由がよく理解できた週末だった。
2ヶ月更新しないでいると、それが当たり前になる。怖いものだ。
人は、毎日情報を外界から得ている。どんなに些細なことであろうとも必ず情報を得ている。そして、それを自分の中の「顕在意識」で咀嚼する。ときには「潜在意識」や「深層心理」に潜む自分の究極の価値観と照らし合わせることすらする。そして、判断しアウトプットする。これが「解釈」だ。
人間社会というからには、一人で生きているのではないことは自明だ。すると、自分の「解釈」というアウトプットは他人のそれと関わりをもつことになる。
これが、「対話」「論」だろう。批判、批評を受けることもあるだろう。
そして、またそこからインプットし、咀嚼し、解釈する。この繰り返しこそが、「考える」という作業のように思える。
さらに、人は生き物であるかぎり「営み」が必要である。さきほど述べた「考える」という行程は、脳の中で完結する作業である。厳密には、脳と耳と口と目が必要であるが。「営み」には、「汗」が必要になる。体を動かせて「行動」しなければならない。
今、こうしてキーボードを叩いているのも、ある意味行動だ。「阿倍野の人々の健康を守りたい」と脳の中で素晴らしい策を想い付いても、「汗」をかくまでは「空論」である。「評論家」ならそれでいい。
しかし、私達は、実務家である。生き物である。「営み」が大切だ。
こうしてみると、「考える」という行為、狭義には「脳の中で完結可能」だが、私達の実社会で考えるならば「行動」にまで現れなければ、無意味にだとも言えそうだ。
何度も同じミスを繰り返しながら、「頭では分かっているんですよ〜」と言い訳をする部下を見て「考えてないな〜」と感じてしまうのは、無理もない。実際は私達が見ているのは「行動」なのに、「考えてない」と感じてしまう。頭の中での出来事は絶対的に見えないにも関わらず、そう言ってしまう。
何が言いたいか・・・。
私は、この2ヶ月頭の中では、考えていました。しかし、何の行動もしなかったと言っても過言ではない2ヶ月でした。廃人状態でした。
結果として、私は考えていなかったのです。何も考えてないアホになってました。「考えない」ということが分かって、おかげで「考える」ということも分かりました。
さて、筑紫哲也さんが亡くなりました。きっと、無念だったでしょう。病気と闘って、そして打ち勝ってニュース23のいつもの指定席に帰ってくると、視聴者に約束したのに。
彼の遺した文章と、映像に「考える」ということの本質を見ました。
周りのたくさんの人々と「論」をしたいと思います。
そして、行動レベルできちんと「形」を残したいと思います。
それが、考えるということだと感じました。
PS:「お前のブログをネタに喋ることもあるねんから、ちゃんと書けよ!」と言ってくれた同級生Hに感謝。古くからの友人を大切にしなければならないことを再認識。