
以前にも書いたことがあるのだが、改めて今の気持ちを確認しながら
書いてみようと思う。
「自信」という言葉、よく考えると二つの種類に分かれる。
一つ目の「自信」は「根拠のある自信」「経験に裏付けられた自信」
である。
「これだけの練習をしたから。そして、練習ではこの程度のパフォーマンス
が出来たから。」「今まで、必ず成功してきたことだから、今回も上手く
いくはず。」というのが、このタイプの自信である。
人間は、「現在」という瞬間を生きているのだが、それが瞬く間に「過去」
となる。過去は時間の大きな束として、脳みその中に蓄積されている
いわば「映像」「データ」のようなものである。現実に生きているのは、
「現在」という瞬間であるのだから、「過去」は、実際はバーチャル・リアリティ
でしかない。ただし、「過去」という時間の束と「現在」という瞬間とを
足して「今まで」という感覚を持つとすれば、実は「現在」すら「過去」の
ように捉えるのが人間の特徴である。
さて、「自信」「不安」いずれも実は「未来」という概念が無いと
起こらない心理状態である。「自信」も「不安」も「未来」に起こるであろう自分の
状態を予測することができる人間だけに許された感覚である。
「勝つ」「負ける」
「合格する」「落第する」
「成功する」「失敗する」これらについての「予想」が
「自信」「不安」の正体であり、原因である。
横軸に時間、縦軸に「努力」「パフォーマンス」などの要素を
プロットすると、人間は「過去」から「現在」まで自分が、どのような
成長を遂げてきたのか、もしくはまったく成長していないのか、
時間の使い方がムダだらけだったのか、有意義に時間を過ごせたのか、
自分の中での「解釈」「感覚」を持つ。これこそが、「経験に裏付けされた
自信」であり、これが無いと「経験から感じる不安」となる。つまり、
「時間」という横軸に対して、「パフォーマンス」「実力」「努力」
などを縦軸に刻んだグラフを書いたときに、そこに表わされるグラフが
右肩上がりであればあるほど、「自信」が湧くというのが、この考え方
である。「自己効力感」「統制感」などと表現する心理学者もいるが、
ようするに「やればできるじゃないか!」「やったことが、ちゃんと
結果に表れた!!」と感じられる状態のことである。
さて、ここまで書いた「根拠のある自信」は確かに大切である。だから、
大人たちは子どもに向かって「努力すること」を奨励する。
しかし、ここからが重要である。本当に大切な時に限って、スポーツで
あろうと、仕事であろうと「今までに経験したことのないような状況」に
必ずと言って良いほど巡り合ってしまう。望んでもいないのに。そんな
状況下では、「経験に裏付けられた自信」は結構、はかない。壊れやすい。
左脳でしか考えられないデジタル人間や、いわゆる偏差値の高い人間に
限って、そんな場面ですら「経験に裏付けされた自信」を得たいと、
よく似た事象で成功した体験などを過去の時間の束から探し出そうと
試みるのだが、残念ながら勝負するのは、瞬く間に過去となってしまう
「現在」という土俵の上である。そんな時間は無い。そんな悪あがきを
している間に勝負は決している。
ならば、どうすれば良いのか?
「根拠の無い自信」「経験にもデータにも裏付けされていない自信」
「なんかわからんけど、自信がある状態」を脳の中に持たなければ
ならない。
「経験に裏付けられた自信」だけしか持ち合わせていない人間は、
イレギュラーが発生し、今までの経験では太刀打ちできな時や、
経験が否定された瞬間、パニックになる。しかし、そんなとき
「根拠の無い自信」は強い。なにせ、根拠が無いのだから。
実は、この二つの「自信」さきほどの「時間軸」の概念から説明すると、
「過去」という膨大な時間の束の中に蓄積されるのが、「経験に裏付け
された自信」であり、「今」「現在」という極めて短い「瞬間」で
発揮される「あり方」「考え方」が「根拠の無い自信」だと説明が
つく。
どちらが大切というものではないが、概して日本人は「裏付け」の方を
重要視しがちであるように感じる。
きちんと計画を立て、実際の闘いの日までをどのように過ごすか、
努力を積み重ねるか、ここで必要な精神力、忍耐力なども重要な
要素である。また、当日の闘いにおいていかに、緊張をコントロール
するか、集中力を高めるか、これらの能力も普段からトレーニングが
必要である。どちらの要素も大切であり、さきほどの「裏付けのある自信」
と「裏付けの無い自信」という話にも通じる。
今の自分を考えてみると、「根拠のない自信」が沸々と湧きあがって来て
いる。また、「裏付けのある自信」も大きくなって来ている。
良い傾向だ。どうやら、夜明けは近そうだ。長い長い夜から抜け出せそう
である。
2012年までの当院の成長をご期待ください。
京セラの稲盛和夫会長の言葉です。有名な言葉です。
第2電電(現KDDI)を設立しようという話が持ち上がったときに、
ご自身が今まで創り上げてきた会社の事業領域とは違う世界に足を
踏み込むかどうか、つまりは「多角化」をするかどうかを
半年以上悩まれたそうです。そのときに、何度も自分に問いかけた
質問が「動機善なりや、私心なかりしか」だったというのです。
稲盛さんは、色々な本の中でも「人生の究極の目的は、きれいな心を
持つこと、魂を磨くことなんだよ」という風に語っておられます。
また、「利他の精神」も頻繁に使われる言葉です。自分自身のエゴを
満たすためだけの行動は、最終的には自分の首も絞めることになる。
だから、自分以外の他人にとって良きことを進んでしなければならない、
ということを頻繁に語られます。
私には、まだまだ遠い道のりです。全然できていません。
しかし、ヘルスプロモーションという考え方に出会って「予防歯科を
中心にする歯科医院を創るぞ!」と熱い思いで医院の再出発を誓った
10年前の想いは純粋で、「動機、善なりや?」に対しては胸を張って
「ハイ」と答えられます。10年の年月は、私の想いを少々霞ませて
しまっていましたが、今もう一度「初心」に戻れる気がしています。
「私心」だらけになっていたのかもしれません。しかし、今もう一度
「利他」の心で再出発を切れると確信しています。
平成22年1月、当院は大きく変化します。
私たちが目指す、本来の姿に立ち返ろうと思います。「輝く人で、輝く人を創る」
というCHP研究会の基本理念に戻ろうと思います。
スゴイ勢いで元気よく挨拶をするスタッフが皆さんをお出迎えする、
元気の良い「居酒屋さん」みたいな歯科医院に戻れると思います。
「変化を恐れない」経営トップには必要な姿勢なのですが、ここ数年の
私は変化を極端に恐れ、こじんまりした、どこにでもある経営をしていました。
当然、めまぐるしく変化する時代に置いて行かれました。アホです。
経営者失格です。
元の自分に戻ろうと思います。
「動機善なりや、私心なかりしか」
皆さんに伝わる、医院改革を進めたいと思います。1月が楽しみです。
またまた、「やっぱり」というか何というか、市橋達也容疑者が食事を
摂ったそうですね。
先日のこのブログでも書きましたが、彼は絶食をするつもりも無かった
のですから、いずれ食事を口にするのは明らかでしたが「豚の照り焼き」
が好物だったのでしょうか?昨日の昼の弁当をたいらげたそうです。
本当に、わかりやすいボンボンです。わかりやすい「ひねくれ者」です。
ひょっとすると、このまま黙秘を続けることで「不起訴」もしくは、
死体遺棄事件の刑事訴訟法上の時効である3年が経過するのを待とうという
作戦なのかも知れませんが、そんなに世の中が甘いものではないということ
を彼自身、今回は勉強することになるんだろうと思います。
親に対する当てつけで、被害者や被害者のご家族に対しての謝罪の言葉も
述べていないのだろうと、私は勝手に推察していますが、自分の親のこと
はこの際どうでも良い話しであり、自分の娘をいわれなき理由で殺害された
ご両親の心を察する気持ちだけは、持っていて欲しいものだと感じます。
ここまでアホな31歳を見るにつけ、情けない想いと自戒の念が募ります。
親として、子どもと関わるということの難しさ、自分自身の性格の奥底に
潜む親からの躾。本当は、どうなんでしょうかね?
昨日11月23日(祝)、京都府の北部、福知山市で第19回福知山
マラソン大会が開催されました。
私も参加してきました!!
今回は、事前の練習量が少なかったことが少々不安材料でしたが、とにかく
全力で走ろうと、初めての町、福知山に乗り込みました。まず、福知山
ですが、結構遠い!イメージでは大阪から1時間少々くらいの感じだった
のですが、実際には日本海までの方がずっと近く、舞鶴まで電車で30分
というところなんですね。知りませんでした。
さあ、会場に到着するとまずは、選手受付を行い、ゼッケンを受け取る
のですが、その際に「地元の子どもたちからの応援メッセージです」と
小さな紙を手渡されました。そこには、手書きで地元の小学生がメッセージ
を書いてくれていたのです。もちろん、ランダムに手渡されますから、私が
受け取ったメッセージを書いてくれた少年とは、会ったこともない
わけです。そこには、「せんきょう小学校、3年、かもわたる」という
名前と一緒に、「こんなながいきょりを走るためには、きっとたくさんの
れんしゅうをしてきたんでしょうね。きっと良いけっかがでるとおもいます。
じぶんをしんじてがんばってください。おうえんしています。」
という、メッセージが書かれていました。
なんか、心の中からじわ~っと、温かくなる感覚を持ちました。
本当に嬉しかったです。素直に感動しました。
さあ、そしてスタート。10kmの部と併せて、合計1万2千人の参加者が
一斉にスタートする一大市民マラソンの幕が切って落とされました。
いつもは、前半に頑張りすぎて後半にスタミナ切れを起こすので今回は
前半を自重、1kmを5分10秒程度で走るように心がけました。
15km過ぎで、当院の受付スタッフ辻本さんが、栄養ドリンクを手渡して
くれる予定だったのですが(彼女は、福知山の出身で「帰省も兼ねて、
応援に行こうかと思ってます」と事前に言ってくれていました。)
なんと、彼女以外にも当院のスタッフが3人も応援に来てくれているでは
ありませんか!!しかも、手製の小旗とプラカードを持って!!
涙が出るくらい、感動しました。アドレナリンが体内から湧きあがって来る
のが、手に取るようにわかりました。マラソンに出るたびに思うのですが、
やっぱり人間は、自分以外の人間から「見・止められる」ことに、本能的に
反応するのでしょう。一人では生きていけない動物なんですね。
彼女たちの応援のおかげで、そこからの5kmはオーバーペースになって
しまいました。(笑)
福知山のコースは、ちょっとしたアップダウンが繰り返しやってくる
実は難コースで、気温が予想以上に上がったことも災いし、エネルギーを
必要以上に消耗してしまいました。
30kmまでは、まったくペースを乱すことなく1km5分10秒~5分15秒の
ペースで、走ったのですが30kmを超えて、明らかにペースダウンしてしまいました。
また、福知山のマラソンはスタート、ゴールの会場が高台にあり、ゴール前の1kmの直線で
約60m駆け上がるという、心臓破りの坂が待っているのです。本当に、
厳しい試練を最後に課してくるものです。しかし、これも人生だな~と
感じました。痙攣をおこしながら最後の坂登りを終えた所にゴールは
ありました。ゴールをした瞬間、涙が自然と出てきました。ボランティア
スタッフさんたちが口々に「お帰りなさい」と言ってくれることも
涙を助長しました。「お帰りなさい」なんと素敵な日本語なんでしょう。
「ここは、あなたのホームですよ。」「あなたを待っていましたよ」
色んな意味が含まれる言葉ですよね。応援されるということ、「おかえり」
という言葉をかけてもらえるという喜び、共通しているのは、
「誰かに見守られたい」という人間の根本的な欲求が刺激されると
どれほど、幸せになれるかということ。
この1か月くらい、「神様の啓示かな~」と思えるいくつもの出来事が
あったのですが、福知山にも神様はいました。
私は、残された人生の時間、無駄にしていいほど、たくさんは残されていない
その時間を、自分が幸せになれるように、そして、周りの人を「見守り」
「感謝し」皆が輝く人生を送れるような手伝いが出来るように、
行動しようと決めました。
福知山の皆さん、大会関係者の皆さん、ボランティアスタッフの皆さん、
応援に来てくれたスタッフ、こころよく大会に送り出してくれた
家族、医院のスタッフ、本当にありがとうございました。
また、人生を感じることができる4時間弱の時間を頂きました。
まだまだ修行が足りないこともわかりました。
それなりに、パワーが残っていることもわかりました。
人間的成長のための良いリソースを頂いた1日でした。
ちなみに、記録は3時間50分28秒でした。次のフルマラソンは
2月の泉州国際マラソンです。次は、絶対にベストを更新しようと思います!
市橋容疑者の逮捕から数日間は、どのテレビ局も彼の話題ばかりでしたね。
少々、落ち着いてきたところで、私の感想を書いてみたいと思います。
まず、ご両親の記者会見に「違和感」を感じた方も多かったのでは
ないでしょうか?
妙に「客観的」に話しをする母親、そして饒舌に話をしている最中に
母親の話しを遮る父親、父親が話し始めるとピタッと話をストップし、
「その通りです」と言わんばかりに、相槌をうつ姿。
家庭内での父親の在り方が手に取るようでした。
また、彼らの会見は社会に対して「息子が起こした事件を申し訳なく思う
両親の姿」を見せることが最大の目的だったように感じました。つまり、
「けじめ」として謝罪会見を行っているようにしか見えませんでした。
市橋容疑者は、逮捕以来、まったく食事に手をつけない日が続いている
といいます。本当に死にたいのなら、それまでにいくらでも「死」を
決断する時間はあったはずです。彼は死にたいのではなく、「死にたい
くらい悩んでいる」姿をアピールしたいのでしょう。親が取った行動と
同じです。「すまない」と思っている姿をアピールすることが目的で、
本当に謝罪するつもりはないのでしょう。
「親には会いたくない。親と自分は無関係な人間だから」という発言も
予想通りでした。医師である父親と、歯科医師の母親から生まれた人生、
「親の期待」「親の考える常識」の中で苦しんできた自分との葛藤がある
のでしょうが、残念ながら逮捕後に親が取った行動と、自分が取った行動
に恐ろしいほどの共通点があるのですから、「潜在意識」に刷り込まれた
「記憶」「しつけ」とは怖いものです。
「あなたの子どもを加害者にしないために」の著者、中尾英司氏は、
「愛することと、支配することをはき違えること」の危険性を
述べておられましたが、市橋家はまさに、この典型パターンだと
感じます。
女性に多いとされるのも、この間違い。
「愛すけれども、支配しない」上司と部下の関係においても大切な
ことだと思います。